弁護士 森 弘典
1 上告不受理決定
2011年7月21日、最高裁判所(第一小法廷、宮川光治裁判長)は、株式会社マツヤデンキに「身体障害者枠」(「身体障害者手帳」(3級))で採用され勤務していた心臓機能に障害がある労働者(以下、引用を除き「被災労働者」という)が就労後1か月半後に死亡した事件について、国の上告受理申立てを受理しない決定をした。
これにより、2010年4月16日、豊橋労働基準監督署長が業務外とした処分を取り消した名古屋高等裁判所(民事第3部、高田健一裁判長)の判決が確定した。
2 争点
本件では、本件災害が業務に起因するものであるか否かが争点である。
(1)そのなかで、業務と災害との間の相当因果関係が必要であることを前提としたうえで、その判断方法として、
- 業務の負荷の判断基準につき、平均的労働者を基準とすべきか(平均的労働者基準説)、本人を基準とすべきか(本人基準説)
- 業務と災害との間に相当因果関係があると認められるのは、業務の危険性が業務外の要因に比して、当該発症にとって相対的に有力な原因となったと認められる場合に限られるか(相対的有力原因説)、業務が他の原因と共働原因となって災害を招いたと認められる場合でもいいのか(共働原因説)
(2)本件災害と業務との相当因果関係の存否が主として問題となっていた。
3 控訴審判決―被災労働者本人を基準に業務の過重性を判断
名古屋高等裁判所は、脳・心臓疾患の認定基準(平成13年12月12日基発第1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」、以下「認定基準」という)にとらわれることなく、平均的労働者を基準に業務の過重性を判断した一審判決を取消し、被災労働者が亡くなったのは労災によるものだと認めた。
判決は、「労働に従事する労働者は必ずしも平均的な労働能力を有しているわけではなく、……身体障害者である労働者が遭遇する災害についての業務起因性の判断の基準においても、常に平均的労働者が基準となるというものであれば、その主張は相当とは言えない」として、「このことは、憲法27条1項が『すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負う。』と定め、国が身体障害者雇用促進法等により身体障害者の就労を積極的に援助し、企業もその協力を求められている時代にあっては一層明らかというべきである」とした。そして、「少なくとも」「身体障害者であることを前提として業務に従事させた場合に、その障害とされている基礎疾患が悪化して災害が発生した場合には、その業務起因性の判断基準は、当該労働者が基準となるというべきである」と判示し、被災労働者本人を基準として、立ち仕事、時間外労働の過重性を認めた。
4 最高裁判決の意義
(1)国の上告受理申立てに対する判決
公務災害を除く労働災害の事件で、控訴審で国が敗訴した場合、1999年以降、国は上告を行っていない。その理由は上告する理由に当たらないからと説明されている(2010年2月25日衆議院予算第四分科会での山井厚生労働大臣政務官答弁)。
本件で国が約10年ぶりに上告受理申立てをしたのは、国が高裁判決を重く捉えたからと考えられる。そのような上告受理申立てに対する上告不受理の判決はそれ相当の重みをもって捉えるべきである。
(2)本人基準説に立った判決
これまで、最高裁は、脳・心臓疾患の発症には個体差を無視することができないことを考慮し、実質的には被災労働者本人を基準に過重性を判断してきた(2000年7月17日判決(東京海上横浜支店事件)、2006年3月3日判決(内之浦町教委職員事件)など)。
本判決は従来の最高裁の立場を維持したものであるが、「少なくとも」「身体障害者であることを前提として業務に従事させた場合に、その障害とされている基礎疾患が悪化して災害が発生した場合には」「業務起因性の判断基準は、当該労働者が基準となる」として本人基準説を明確にした名古屋高裁判決を維持した点できわめて意義が大きい。
しかも、国は理由書で名古屋高裁の本人基準説を批判しなかった。本件で、平均的労働者基準説を強調して最高裁がそれを否定するのを恐れたのではないかと考えられる。
(3)自然経過超過増悪説に立った判決
これまで、最高裁は、①被災労働者の基礎疾患が確たる発症の危険因子がなくてもその自然の経過により脳・心臓疾患を発症させる寸前まで進行していたとは認められないこと、②被災労働者の従事した業務が同人の基礎疾患を自然の経過を超えて増悪させる要因となりうる負荷のある業務であったと認められること、③被災労働者には他に確たる発症因子があったとはうかがわれないことの三要素が認められれば、従事した業務による負荷が基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、脳・心臓疾患を発症させたと認めるのが相当であるとしている(1997年4月25日判決(四戸電気工事店事件)、前記2000年7月17日判決(東京海上横浜支店事件)、同日判決(大阪淡路交通事件)、2004年9月7日判決(ゴールドリングジャパン事件)、前記2006年3月3日判決(内之浦町教委職員事件)など)。
本判決により、最高裁が、判断要素②に「急激に」増悪という要件を課さない、いわゆる「自然経過超過増悪説」に立ち、判断要素①~③にもとづき業務起因性を判断していることが確認された。
(4)障害のある人の雇用施策にもたらす意義
名古屋高裁判決は障害のある被災労働者を基準として業務の過重性を判断した初めての判決である。基礎疾患のある労働者の労災が認められた事件は何件かあるが、「障害」という点に着目して、しかも、障害のある被災労働者を基準として業務の過重性を判断した例は見られない。
名古屋高裁判決、そして国の主張を取り上げず同判決を維持した最高裁判決により、今後は障害のある人の特性に応じた雇用管理、労災予防が求められる(改正障害者基本法19条2項参照)。
5 今後の課題
(1)国に課された課題
国の従来の姿勢、すなわち、被災労働者本人を基準として労働災害の予防がなされるべきとしながら、ひとたび労働災害が発生した場合には、平均的労働者を基準として業務の過重性を判断する姿勢では労働災害の予防は実現できない。
今後、国には、法令に従い、当該労働者本人を基準とした障害のある人の雇用施策を推進させるとともに、障害のある、なしに関わらず、当該労働者本人を基準とした労働災害の予防、補償を実現させ、周知徹底していくことが求められる。国は、本判決を受けて、現在の平均的労働者を前提とした脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準および精神障害等に係る業務上外の判断指針を改めるべきである。
(2)認定基準、判断基準の改定と過労死等防止基本法の制定を
今後、私たちは、この判決を一つの標として、国に対して、当該労働者本人を基準とした労働災害の予防、補償を実現・周知徹底させていくために、本件で問題となった脳血管疾患および虚血性心疾患等の認定基準だけでなく、精神障害等に係る業務上外の判断指針を抜本的に改め過労死の認定行政を抜本的に見直すことを求めていく必要がある。
また、根本的な問題解決として、二度と同様の労働災害を引き起こさないよう過労死等防止基本法を制定することを強く求めていく必要がある。
(弁護団は、水野幹男、岩井羊一、森 弘典)