原告代理人 弁護士 川人 博
10数年にわたる訴訟の経過
2011年9月30日付で最高裁第二小法廷は、東京高裁判決に対する被告側の上告を棄却し、また、被告側の上告受理申立を受理しない決定を出した。この決定書は、10月3日原告代理人及び被告ら代理人に送達された。この結果、東京高裁判決が確定した。なお、原告側は上告及び上告受理申立をしていなかった。
本件は、故上段勇士氏(以下、勇士氏という)が被告ニコンの熊谷製作所にて派遣労働者(形式上被告アテスト所属の下請け労働者)として過酷な深夜交替制勤務等の過重労働の結果、うつ病を発症し、1999年3月自死に至った事案である。当時23歳の若さだった。
勇士氏の母上段のり子氏は、息子の死は、被告らの安全配慮義務違反によるものであると考え、当職らを訴訟代理人として、2000年7月、損害賠償訴訟を提訴した。
東京地裁判決(2005年3月31日)は、ニコンとアテスト(旧商号ネクスター)両社の責任を認めて、遺族への賠償を命ずる判決を出した。認容額は約2500万円(遅延損害金を除く)であった。
原告・被告側とも控訴し、3年以上の審理を経て、東京高裁判決(2009年7月28日)は、一審東京地裁判決に続き被告両社の責任を認め、かつ、損害賠償額を一審より大幅に増額させ、過失相殺もなしとの判決内容であった。賠償総額は、遅延損害金を含め約1億円強に達している。
今回の最高裁決定により、二審東京高裁判決が支持され確定した。
判決の歴史的な意義
本件訴訟は、他の過労死裁判と同様の争点とともに、いくつかの重要な固有の争点、新しい争点を含んでいた。それだけに、一審以来訴訟は予断を許さない緊迫した情勢の下で進行してきた。今回、東京高裁判決(以下、確定判決という)が最高裁によって支持され確定したことは、働く者のいのちと健康を守るうえで、歴史的な意義を有している。
第1に、形式的には請負労働者、実質的には派遣労働者であった勇士氏の過重労働について、裁判所が派遣先・派遣元両社の法的責任を認定し、賠償を命じたことであり、このことは、非正規雇用労働者の労働条件の改善にとって極めて重要な意義を有する。
確定判決は、被告両社が職業安定法、労働者派遣法に違反して労働者派遣をおこない、過酷な労働を勇士氏に課していたことを、強く批判した。また、判決では、日本国憲法第18条(何人もその意に反する苦役に服させられない)など憲法の諸規定まで引用され、派遣労働は「過酷な労働が強制されるなど労働者に不当な圧迫が加えられるおそれが類型的に高い」と指摘されている。
第2に、確定判決が、時間外労働時間の数値だけでなく、深夜交替制勤務に伴う睡眠障害や睡眠不足がうつ病の直接のリスクとなり得るとの研究成果を引用し、業務起因性の根拠としたことは、深夜交替制勤務に従事する労働者の健康を守るうえで大きな意義を有する。わが国では1990年代以降、製造業の分野にも深夜交替制勤務がひろく導入され、本件ニコン熊谷製作所もその象徴的な例である。会社の利益追求を優先させ、働く者のいのちと健康に対する配慮を欠いた深夜業に対する規制を強化していくことが大切である。下記のメモは、勇士氏が不規則な交替制勤務に対応するために実行していた生活サイクルであるが、このような不規則な生活は、本来の人間の生活リズム(概日リズム・サーカディアンリズム)に相反するものである。
第3に、確定判決は、クリ-ンルームが劣悪な環境ではないとの被告側の主張及び被告側証人の証言を採用せず、原告側提出の各種証拠に基づき、勇士氏が「クリ-ンルーム作業によるウェアの不便さ、立ち作業の多さ、閉鎖圧迫感、イエローランプ等のクリーンルーム特有のストレッサーによって、慢性的に心理的負荷等を受け続けた疑いが強いというべきである」と判断した。この判断は、クリ-ンルームに働く人々の健康を守るうえで重大な意義を有する。
第4に、負荷評価の期間につき、被告側が自殺直前の6か月間のみの負荷を評価すべきと主張したのに対し、確定判決は、原告側提出の各種医学文献(とくに原田憲一医師論文)等を検討して、「「判断指針」の「おおむね6か月」とは、6か月から1年程度といった期間をゆるく想定しているのにすぎないと解するのが妥当」「「判断指針」の機械的当てはめは妥当でない」と述べた。そして、「交替制の勤務の影響を特定の期間に限定して評価することに合理性を認めるのは困難である」と述べ、勇士氏は死亡15か月前から交替制勤務を開始していたのであるが、これらの全期間について過重性評価の対象とした。
第5に、確定判決は、精神疾患発症及び業務起因性に関する労働者側の主張立証責任を緩和し、使用者側が、自殺の原因が精神疾患にないこと及び業務外疾病(死亡)であることを主張立証すべきであるとした。すなわち、同判決は、本件のように交替制勤務によりクリーンルーム作業に従事する労働者が使用者側が用意した寮に単身で居住している場合には、当該労働者の生活の大部分は使用者側にいわば抱え込まれているので、近親者が業務や生活の状況を把握することは容易ではなく、業務を管理監督する使用者側が、自殺の原因が精神疾患にないこと、また、うつ病発症が業務に起因するものとはいえないことを明らかにしない限り、自殺が精神疾患を原因とするものであること、及びうつ病発症の業務起因性が推認されるとの考え方を示した。
第6に、確定判決は、勇士氏や原告側に損害の一部を負担させるべきであるとの考え方(一審判決決では3割原告側負担)を採らず、全損害を被告側が負担すべきであるとした。いわゆる素因減額や過失相殺を否定したものであり、損害論においても、安易な減額を許さない貴重な判決となった。
おわりに
本稿のおわりに、勇士氏が死亡して以来十数年にわたり同氏の死亡原因を究明し、使用者側の責任を明確にするため活動を続けてきた原告上段のり子氏をはじめ、ご遺族に対し心より敬意を表します。また、本裁判に関心を持ち原告を支援してくださった皆様方に心より御礼申し上げます。
原告代理人弁護団は、今後とも働く者のいのちと健康のために一層の努力を続ける決意です。