「鳥居建仁先生の公務災害認定」を求める会 事務局長 杉林 信由紀
鳥居さんの勤務実態
鳥居建仁さんは、2002年9月豊橋市石巻中学校の学校祭の最中に倒れました。教職20年目で独身の男性教師ということもあって学内外の役職が集中していたうえに、1年生のクラス担任、数学の教科担任等、学校事務、教材研究をこなしながら陸上部の顧問として部活動で朝練、夕練と指導に明け暮れ、土・日、冬・春・夏休みもほとんど無休でした。
そのために、時間外勤務は倒れる1カ月前は学校が認めたものでさえ119時間に及んでいました。
夏休みでさえ100時間を超え、学校祭前夜は「夜警」で校長室のソファーで灯りをつけて仮眠しかできず学校祭の当日、ユニホックの模範試合の途中に体調に異変を感じ、開頭手術を受けました。一命は取り留めたものの左上下肢麻痺で身体障害1級、後遺症として高次脳機能障害で精神障害2級となりました。また、施術して「もやもや病」に罹患していることが分かりました。
鳥居さんは同校赴任時に陸上部の顧問となり、駅伝部は県大会に連続優勝し全国大会に出場。倒れた年は愛知県中学校駅伝大会で、前人未到の3年連続出場めざし学内の保護者、市・県関係者からの強い期待を担っていました。
時間外勤務は「ボランティア」
ところが、基金は①鳥居さんの休日の部活動と部活動後の教材研究、学校事務など校務分掌に費やした時間外勤務の職務命令はなく、自主的なボランティアである。
②職務中に特別なトラブルはなく、また職務に過重性はなかった。
③「もやもや病」に罹患しており、自然的経過による血管が破綻した。
として「公務外」としました。裁判ではこの判断が争点として闘われました。
地・高裁判決から見る主な判断
地裁で2年半、控訴され高裁で1年3か月の闘いで、被告基金側の主張はことごとく排斥され、原告の主張が認められました。
①教職員の職務は、本来の教科指導から職員会議、研修への参加、PТA等本来の職務に付随した業務のほか生徒に対する広範な業務、部活動等課外活動業務など非常に広範囲でかつ千差万別である。
②職務遂行のために準備行為が多いうえその職務の特殊性から自主性、自発性、創造性に基づく職務遂行と成果の発揮が求められる。
③教職員の職務遂行は個別的な職務命令を受けてなされるというより、校務分掌による包括的な職務命令に従い職務を遂行する側面が強い。
④やむを得ず職務を時間外に遂行しなければならなかった時は、社会通念上必要と認められるものである限り、包括的な職務命令による職務遂行と認められ指揮命令権者の事実上の拘束力化におかれた公務に当たる。と判断されました。
地域クラブ活動について
地裁判決は、地域クラブ活動にあたっていたのは主としてО顧問と原告でした。練習場も学校のグラウンドで、生徒も同校の陸上部員で、地域クラブ活動を部活動の延長という認識で取り組んでおり、校長も現認していて中止する命令もしておらず実態として陸上部の部活動の延長であった。と認めるのが相当であるから被告の主張は認められない。と判断しましたが、高裁判決は、地裁判断を認めながらも、「原告が地域クラブの役員や指導者などに名前を出さなかったこと、地域クラブの運営主体、金銭面での独立性などから見て同校の部活動の一部と評価できない、として地域クラブの指導に関わっていたとしても校長からの職務命令によるものとも認め難いところである」と地裁判決を後退させました。
同時に、実態は前年度までは許されていた日曜日の代替するものであると認めて「これを公務と認めることができないとしても、その実態からすれば、長期間にわたって、解放された時間を過ごしていたとは認め難いと言わざるを得ない」と判断してかっこ付きで地域クラブの部活動に費やした残業も公務としてそのまま時間外勤務数に加味して、基金側の控訴を棄却しました。
「もやもや病」の判断
基金側は、一審・二審で「もやもや病」による脳出血は、「元々脆弱な血管が自然的経過の中で老化して破綻に至って出血する病気」であり、「本を読んでいても楽しく会話していても、眠っていても、いつでも血管が破綻しうる」などと専門医の意見書の提出と証人尋問で証言し公務起因性を否定する主張してきましたが原告側の新宮正医師の意見書と証言を採用して、「被告側の主張は病理学的事実や疫学的事実に反する非科学的なものとして、原告は「たとえ健康な人であっても血管が破綻しうる程度の精神的及び肉体的に過重な負担があった」として、基金側の主張は採用できないと公務起因性を認めました。
一・二審でこれだけ明快に判断されたのに基金は「上告・上告受理申し立て」をしました。
重い障害を受けながら裁判に向き合う鳥居さんと被災当時は元気であったのに、彼の看病疲れから体調を崩し、介護施設でひたすら「せめて公務災害」の認定を待ちわびる母親に対する基金側の対応に強い怒りを感じました。
粘り強い運動が勝利確定を導いた
集めた署名は、地裁で3万3000筆、高裁で2万4400筆、最高裁で2万3000筆、団体署名も630団体と地裁提訴の直前に「鳥居建仁先生の公務災害認定」を求める会を結成して8年余、労組、民主団体などへの支援要請行動と様々な場での訴えに輪が広がり、特に、裁判闘争の経験豊富な国民救援会、働く者のいのちと健康守るセンター、全教、全労連等からの支援で全国から署名が寄せられました。
長期間裁判を闘えた教訓
①「鳥居裁判」とは「教職員の労働実態」など多岐にわたるテーマで学習会(集会)を開き学びつつ闘い闘いつつ学ぶことを基本にしてきました。
②ニュース「バトンタッチ」を発行して情報発信をしてきた。
③マスコミの取材に積極的に応じ広報活動に生かした。
④裁判を闘う仲間(原告・支援の会)と連携し支え合って裁判所からも運動の輪が広がった。
⑤署名集は、ニュースに同封するだけでなく、街頭、団体での訴えと共に鳥居さんの勤務校の地域の嵩山自由が丘団地(約250戸)に全戸訪問で署名行動に取りくんだ。
最高裁勝利で、「公務災害認定」と「免職発令取消通知」
3月6日公務災害認定書が届くと同日に県教育委員会から「免職発令取消」通知を授受して、鳥居さんは現職復帰が実現。3月31日と4月7日両日、参議院文科委員会で田村智子議員(共産)が鳥居裁判判決文を引用して「教職員の多忙化対策」で質疑をしました。
今尚、効率化と利益優先で命と健康をないがしろにする労働が強いられています。安倍政権は「労働者派遣法」と「残業代ゼロ法」強行へと暴走しています。「過労死等防止対策推進法」や鳥居最高裁判決に真逆の悪法を成立させてはなりません。私は、労働者の命と健康を守り過労死(自死)撲滅を目指して新たな歩みを始めました。支援して下さった方に改めて感謝して報告とします。