吹田市職員労働組合 長谷川 さふみ
―あきらめずたたかい続け、画期的勝利―
2013年7月29日、大阪地方裁判所で、私の頸肩腕障害・腰痛症が公務災害であると認められました。公務員ホームヘルパーの公務災害が初めて認められた画期的な判決です。
9人のヘルパーが公務災害認定請求を行うが、全員「公務外」との認定
私は、1985年にヘルパー職で吹田市に採用され、ホームヘルパー業務に従事してきました。
介護保険制度発足以前の吹田市では、介護の公的責任を果たすために、正規職員のヘルパーを配置し、その業務は、相談から買い物、洗濯、調理、清掃などの家事援助にとどまらず、清拭、座位移動、入浴介助などの身体介助に至るまで幅広いものであり、上肢に過重な負担がかかる労働でした。私たちへルパーは、1回約2時間の訪問中に家事と介護の両方をこなし、一般家庭とは違う、過密な労働を行っていました。
私は肩や首の痛みが常時続くようになり、さらに腰痛も悪化して、ついに「頚肩腕障害・腰痛症」と診断され休職を余儀なくされました。当時職場には35人のヘルパーが働いていましたが、私の同僚も頚肩腕障害・腰痛症で次々と倒れ、11人が休職するという異常事態となり、誰がなってもおかしくないホームヘルパー業務の職業病(公務災害)であることは明らかでした。そして私を含め7人が、1999年1月5日、地方公務員災害補償基金大阪府支部に公務災害認定請求をしました。
私の主治医は「…当時の吹田市のホームヘルパー業務は相当大きな身体的・精神的負担が加わる状況で遂行されていたものと考えられ、…(略)…、業務量の増加や職場の状況などの変化に伴って次第に悪化していったことが容易に理解でき、長谷川さふみ氏の健康障害は業務に起因したものであることが明らかである」と明快に職業病(公務災害)であるとの診断を下しています。
また、地方公務員災害補償基金大阪府支部も、当初は、「特に負担となった利用者への介助の状況等からは、本件は、公務による上肢を過度に使用したことが原因となって発症したことが明らかな疾病であると考えている」と判断していました。(この基金大阪府支部の当初の判断内容については私が請求した「自己情報の開示請求」によって明らかとなったものです)
ところが、支部が「慎重を期すため」と「本部協議」を行った結果、私を診察することなく、「痛みは本人が訴えているだけ」と一方的な判断で、2005年12月に「公務外」との認定が下されたのです。公務災害認定請求から実に6年11カ月も経過していました。私たち7人の後、さらに2人が認定請求しましたが、全員、「公務外」とされました。
審査請求するも棄却され、裁判闘争へ
私は不服審査請求を行いましたが、支部審査会はこれを棄却、さらに再審査請求に対して本部審査会もこれを棄却しました。
任命権者である吹田市も、そして当初は基金大阪府支部自身も「公務上」と判断していた私の頚肩腕障害・腰痛症を、「本部協議」によって不当にも「公務外」と逆転認定したことをどうしても許すことはできなかったので、2011年11月に頚肩腕障害・腰痛症の公務災害認定等を求めて大阪地裁に提訴しました。
訴えの内容は、「公務外認定を取り消せ」と「認定請求から実に6年11カ月もの長期間にわたり認定を受けることができず、精神的苦痛も重大なもので100万円の慰謝料を支払え」としました。
2年8カ月にわたる裁判のたたかいの中で、自治労連傘下の全国の労働組合や多くの民間労働組合、諸団体・個人の皆様から多大なご支援をいただき、400超の団体要請署名、9000超の個人要請署名を提出してきました。
裁判では、4人の弁護団による膨大な意見書やホームヘルパー業務を再現したDVDの作成、主治医、滋賀医科大学研究者による診断書・意見書の作成などにより、「公務災害以外のなにものでもない」ことを論証し尽くし、基金側の言い分について打ち破ることが出来たと思います。
「公務に起因する」と明快かつ画期的な判決下る
地裁判決は、「本件疾病は公務に起因するものと認められるから、本件処分は違法であって取消しを免れない」と明快に公務上と認める画期的な内容でした。
判決では、
①公務内容や従事期間に照らして、その公務がどの程度、上肢や腰に負担をかけるものであったか(公務起因性)、私が上肢障害や腰痛を発症した経緯、また、同じ公務に従事していた同僚の発症状況等の個別具体的な事情を総合判断するのが相当である。
②私の従事していたホームヘルパー業務は、頸肩腕部および腰部に対し、一般的な荷物その他の物品を取り扱う業務よりも量的、質的にはるかに上回る重い負荷のかかる作業を多く含むものであると確認。
③利用者の居宅での作業は、スペースに余裕がない、利用者・家族への配慮など精神的緊張やストレスなどが身体的疲労の回復を妨げる要因にもなる(滋賀医大報告書等)と確認。
④勤務状況は、基本的に毎日午前1件、午後1件ないし2件の訪問を行っていたうえに、訪問前後や合間には記録の記入や会議等の事務作業があり、所定の45分間の休憩を取れなかった日も少なくないとし、身体に生じた疲労を回復することは困難であり、頸肩腕部や腰部に生じた疲労を蓄積させるものであった。
⑤私は、ホームヘルパー業務に従事するまで健康上特段の問題はなく、ホームヘルパーの業務を継続するうちに頸肩腕や腰の痛みが発生し、休職すると軽快し、復職して休業前よりも繁忙な業務に従事すると急激に悪化したというように、公務の負荷の程度と症状の間に対応関係を認めることができる。
⑥1997年から99年にかけて、私以外の吹田市職員・ホームヘルパーの8人が、頸肩腕障害及び腰痛で休職したが、吹田市が滋賀医大報告書を受けストレッチ体操等の対策を講じるとともに、民間委託の割合が増大して派遣回数が減少した2000年以降は、ホームヘルパーの休職者は出ていない。私と同種業務に従事していた多くの職員が同様の疾病を発症していることがうかがわれ、これは私の公務と疾病との相当因果関係を推認させる事情と評価できる。
⑦主治医及び滋賀医大北原医師は、頸肩腕障害・腰痛症が私のホームヘルパー業務に起因するものであるとの意見をのべており、日常生活においてホームヘルパー業務の他に頸肩腕障害・腰痛症の原因となるような事情の存在はうかがわれないことなどを鑑みれば、頸肩腕障害・腰痛症とホームヘルパー業務との間の相当因果関係を肯定することに疑いを差し挟む理由はない。
と理由をのべて、「本件疾病は、公務に起因するものと認めるのが相当である」と結論づけました。
私は、今回の勝利判決は弁護団、支援していただいた労働組合、個人の皆様方の力によって勝ち取ることができたと確信しています。今後、介護労働、福祉の職場が少しでも安心して、安全に働けるようになるよう、運動に貢献していきたいと思います。