働く人のいのちと健康を守る北海道センター 事務局長 佐藤 誠一
~原因を探り根絶させるまでたたかいは終わらない~
信じられない長男の死
RKさんはシステムエンジニア(以下SE)になることを目指して地元、北海道の大学を卒業し、流通情報・事務機器の大手A企業に2009年4月入社しました。同期入社は80人で8カ月にわたる研修後、希望した本社のSE職として勤務しました。それから半年後、母親は最愛の長男であるRKさんから贈られた「母の日」プレゼントを受け取り喜びの絶頂にありましたが、その頃RKさんは自ら命を絶っていたのです。
ご両親、ご家族は全く信じられない出来事でした。「なぜ、息子が自死したのか」そのことを解明しない限り一歩も前に進めない…。ご両親の思いは次第に強くなりその解明に動き出します。「過労死」を疑い調べる中で「過労死の労災申請」(色部祐氏共著)を読み、いの健道センターに相談に訪れました。亡くなって2カ月後の7月でした。
業務上の調査とパスワード
ご両親は会社に勤務内容や本人の状況を教えてほしいと何度もお願いしましたが、あいまいで抽象的な返事しかありません。携帯のメールに残る職場の同期や大学の友人から証言を得ようとしましたが、思うように進みませんでした。しかし、家族とのやり取り、亡くなった時の会社とのやり取り、本人の日記やメモ、携帯の記録などから得た情報をまとめて過重な業務に追われていたRKさんの状況を整理しまとめてゆきました。
RKさんは受診していませんが、自殺の原因が「うつ病」によるものかどうかを判断してもらおうと、2011年8月精神科医に面談してもらいました。何度か面談を重ね過重業務による「うつ病」との意見書を出してもらいました。
その頃、RKさん自身が使っていたパソコンのデーターを開くため、ご両親で数百位を想定して挑戦していたパスワードが見事にヒットしました。膨大な業務に関するデーターが次々と明らかになりました。しかしSEの専門用語が並ぶ資料は読み解くことができません。「いの健」のネットワークを生かして「東京センター」の経験豊富な元SEに急きょ、来札してもらい、膨大な資料が解き明かされました。
その結果。RKさんは新人であるにもかかわらず、大きな業務を上司から「丸投げ」される状態で過重な業務を担わされていたことが判明しました。その頃、弁護士にも相談していたので一気に労災申請に向けた取り組みがすすみました。
新人SEを追い込む過重業務
RKさんは大手コンビニのPOSシステムに新規システムを組み込む大きな案件のプロジェクトチームに、先輩・上司とともに参加していました。しかし、先輩・上司は次第に新人であるRKさんに業務を「丸投げ」しました。経験を積まなければできない「要件定義」(注)を任され、顧客(発注者)や関連会社との折衝まで行うことになりました。このような中で、時間外労働は2月77時間、3月80時間、4月123時間と増え、5月の連休も休めず7日まで44時間の時間外労働を行い、8日の早朝自死してしまいました。
新人SEのRKさんは社運のかかるプロジェクトの一員に指名され、要件定義まで担当させられ、それに対する指導や管理がないまま「当然」のごとく行きづまり、精神障害に追い込まれて自死してしまったのです。
2012年1月末、東京都品川労基署に労災申請を行いました。「申し立て書」と父親、母親、友人の意見書、弁護士、医師、そして元SEの意見書に関係書類を添付しました。経験豊富な「いの健東京センター」は役員3人が代理人となってくださいました。ほぼ完ぺきな資料をそろえた申し立てを行ったので、ご両親が申請の際に口頭で趣旨説明しただけで、「調査」は行われませんでした。
8カ月が経過した同年9月、「業務上」と認定されました。ご両親、ご家族の努力が最大の力でしたが、弁護士、医師とともに東京センターの皆さま、特に元SEの皆さんのお力添えが大きな役割を担いました。
全面的な分析を避けた労災認定結果
労基署決定を「情報開示」したところ、意見書で指摘した①「仕事内容、仕事量の大きさ」②「ノルマの未達成」③「新規事業の担当」④「複数名の業務を一人で担当」⑤「80時間以上の時間」外のうち、①が強度「Ⅱ」で、時間外労働が100時間を超え増加していることで「強」とするとの評価だけでした。「ノルマ」も「新規事業」も「一人で担当」も一言の評価もされていません。労基署決定からは今回の事件の背景と問題点に迫る姿勢は感じられません。SEの過労死は厚生労働省も問題視し、その対策を重視しています。そうであれば、新人に重要案件を「丸投げ」し指導も管理責任も果たさず、最悪の事態を招いた今回の事例の背景や会社の対応について行政として適切な指導を行うべき事案です。不問に付すことは許されません。
真相を明らかにし、SEの不幸な事件の根絶を採用段階から有能な人材を選び抜き、8カ月にもわたる「研修」を経てSEとしてデビューさせたA社は、どうしてRKさんが初めての仕事をやり遂げ、次のステップに進むようサポートしなかったのでしょうか?その真相は闇のままです。
亡くなった直後、上司がご両親に「息子さんは強すぎました」と述べました。ご両親はその意味を問いただしたいと、会社に対して15項目にわたる質問書を提出しました。まだ正式な回答が届いていません。
グローバル企業として世界に向けて発信している大企業が、有能な未来ある青年SEをわずか数カ月で死に追いやる。こんなことが許されるはずはありません。労災の認定は一里塚にすぎません。ご両親、ご家族とともに、弁護士・医師、SE業務の専門家、東京センターをはじめ全国の「いの健」に結集する皆様の力を結集して、青年SEの死の真相を明らかにし、二度とこのような悲劇を起こさないよう会社の謝罪と改善、補償を求めて取り組みを進めてゆく決意です。