弁護士 小笠原 里夏
1 事案の概要
本件は、2004年4月に新規採用された公立小学校の教諭である木村百合子さんが、多動性・衝動性の強い指導困難児への対応と担任学級の運営に苦悩して、うつ病に罹患し、着任後わずか6カ月で焼身自殺をした事件である。
百合子さんのご両親は地方公務員災害補償基金(以下「基金」)に対して公務災害認定請求を行ったが、同基金静岡県支部は「公務外」との認定を下し、当職らが代理人となって行った審査請求も棄却されたため、2008年7月、静岡地方裁判所に公務外認定処分取消請求訴訟を提起した。
2011年12月15日、公務外認定を取り消す一審勝訴判決を得たが、これに対して基金は不当にも控訴をした。そして2012年7月18日、東京高裁にて再び勝訴判決を得て確定した。
本件の特徴は、①百合子さんが新人であったこと、②担任する学級に、発達障害の疑いのある多動性・衝動性が顕著な児童(N君)が在籍していたことと、③担任するクラスが学級崩壊のようになりつつあったこと、④所定の「初任者研修」があったとはいえ、本人から度々SOSがあったにもかかわらず、同僚教諭らによる百合子さんに対する支援体制が全く組まれなかったこと等である。
このように本件では、うつ病発症の原因となる特筆すべき「出来事」があったわけではなく、長時間労働が立証できたわけでもない。新人教師の日常的な担任業務が業務(公務)過重性の判断対象となり、これを裁判所が過重性ありと判断した点が本件の大きな特徴である。
2 勝訴判決の意義
①公務起因性の判断基準について「最脆弱者基準説」が採用されたこと
公務起因性の判断基準について一審判決は、「社会通念上、当該精神疾患を発症させる一定程度の危険性の有無については、同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし、同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。」と、最脆弱者基準説を採用した。
静岡地裁は東京高裁管内の中でも保守的な裁判所と思われるが、その裁判所で最脆弱者基準説が採用されたことは、画期的であった。
さらにこの判断基準が、これまで頑なに最脆弱者基準説を排斥してきた東京高裁(控訴審)でも維持されたことはさらに特筆すべきことである。このような東京高裁の姿勢の変化は、今後過労自殺の救済範囲がさらに広がる可能性を期待させるものである。
②公務起因性の判断において、うつ病発症後の出来事も判断要素とされたこと
本件では、百合子さんがうつ病を発症した時期が着任後わずか2カ月足らずであった。そして、百合子さんは5月末頃からN君の問題行動を観察記録に記し始めたため、6月以降のN君の問題行動の深刻さは一目瞭然なのだが、4~5月の問題行動については、証拠上断片的にしか表れない。
このため被告は、6月以降の業務過重性については一切無視をし、当方の主張に対して必要なしとして何の反論もしなかった。
これに対して一審判決は、「(うつ病を)一旦発症してもその後の心理的負荷が適度に軽減されてさえいれば、症状の改善によって自殺に至る可能性も減少するとみる余地があるのであって、その意味では発症後の出来事を考慮することは、必ずしも医学的見解と矛盾するものではない。」とし、うつ病発症後の公務も考慮して判断すべきとした。そして、「百合子のうつ病発症後の公務による心理的負荷は、既に罹患していたうつ病を悪化させるものであったといえても、軽減させるものではなかったことは明らかである。」と認定した。控訴審の東京高裁でも同認定は維持された。
うつ病発症後の事情は一切考慮しないとする判例も存在する中で、因果関係の有無につき、発症後の公務も考慮に入れるべきであるとはっきり判断したこれら判決の意義は大きい。
③事実認定における基本姿勢
感動したのは、N君の問題行動の程度に関する事実認定だった。百合子さんのうつ病発症前4~5月のN君の問題行動は断片的に記録されているだけであり、証拠上、その程度や深刻さは必ずしも明らかとはいえなかった。
ところが一審判決は「2004年5月末以降百合子がつけていた児童Nに関する観察日記の記録や、黒板に書かれた百合子への暴言等からすれば、百合子がうつ病を発症する以前の段階においても、児童Nの問題行動は、初任者研修資料の記載のみにはとどまらない高い頻度で、継続的に行われていたことが容易に推認される」と事実認定したのである。普通だったら、「証拠上明らかでない」と切り捨てられて終わるところ、このような事実認定を得られたことは本当に驚きであった。そして東京高裁でも、一審判決内容を後押しするような補足の事実認定まで加えられていたのは更なる驚きであった。
3 支援する会の発展
公務災害認定を勝ち取ることの困難な過労自殺事案で完全勝訴判決を得ることが出来たのは、百合子さんのご両親の頑張りと、支援する会の広がりによる。特に百合子さんの母和子さんは、「娘のような悲劇が二度と起きないでほしい」という強い思いの下、報道機関から取材要請があれば積極的にこれに応じ、支援の輪を広げる努力を怠らなかった。その結果、報道を見た方が新たに支援に加わってくれるという良い循環が生まれていた。また支援者のお一人が、裁判の報告会の様子をビデオ撮影し、毎回YouTubeにアップしてくださったため、インターネットを通じた支援の広がりもあった。
本件のような事案は、裁判官がいかに事実を評価するかにかかっている。支援する会の盛り上がりが法廷を通じて裁判官に伝わり、裁判官が「良い判決」を書くことができるように後押しすることは、勝訴を勝ち取るために不可欠である。本件では理想的な形で支援する会が発展し、大きな力を発揮してくれた。
支援する会では、勝訴後も静岡県教育委員会及び磐田市教育委員会に対して、教育現場における教職員の労働環境の改善を求める申し入れを行った。労働環境の改善が一朝一夕に実現するわけではないことは百も承知だが、百合子さんの死が「公務災害」にあたるのだということを教育委員会にきちんと認識させることは、間違いなく一つのプレッシャーになる。
なお、本件をテーマとした書籍(「新採教師の死が遺したもの 法廷で問われた教育現場の過酷」久冨善之他編著・高文研)をご一読いただけると幸いである。